イギリスで徒然草(旧・ランカスター日記)

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私の英語学習履歴

スライド作り終わりましたー!けっこう詰め込んで29枚になった。
どう考えても20分で終わる量じゃないんだが…
まあいいや。明日の午前中も練習&手直しできるし。
シャワー浴びて早く寝よう。

ところでスライドを作るのと同時進行で
今までの生活をいろいろ振り返っていて
ふと書きたくなったので、今更ですが書いてみようと
思います:「私の英語学習履歴」。

英語教育の輪でひそかに企画されていた
この企画(クリックでリンク飛びます)。
できるだけ3月1日投稿とありました…が
今ひっそりと書きたくなったので書いてしまいます。

蘭華の英語学習履歴

中学入学の12歳まで、両親が好きな洋楽をたまに耳にする以外
英語に触れたことはありませんでした。
最初は文字と音の関係が必ずしも一致しないことに苦戦し、
中学一年時は英語はわりとキライな科目でした。

筆記体の練習なんかは大好きでしたけど、
たま~にあったネイティブ(ALT)の先生の授業
(週一回あったのか?もはや記憶がない)は
オールイングリッシュでまったくちんぷんかんぷんで
ALTの授業は大嫌いでした。
授業の工夫も大してしているように見えなかったし
「ネイティブだからって楽してんなー」とか
思ってたかもしれません。やな奴ですね。

中学で英語を最初に担当してくださったH先生が
1年の後半?2年になってから?だったか、
授業時間以外にも放課後などに

教科書暗記→先生の前で暗唱→ハンコもらう

というのを推進していて(成績の一部だったかな?だったような気がする)
ハンコがもらえるのが嬉しくて頑張りました。
そのあたりからだったと思います、成績が伸びて面白くなってきたのは。

H先生は発音が大変綺麗でいらして
さまざまな手法と工夫をもって、40人越えクラスではなかなか難しい発音練習なども
見事にmanageされていました。
H先生に中学英語を習えたことは大変な幸運であったと今でも思います。

H先生はのちにG芸大で修士課程に入られ、
ちょうど私がイギリスに来る直前にあった全国英語教育学会で
再びご挨拶することができました。
まったくお変わりない美しさと現場への情熱に
脱帽の思いでした。

私は中学ではいじめを受けていたこともあり
(いじめ開始時はH先生が担任)、
ご心配をおかけしましたがとりあえず
道を踏み外さずに成長しました、と
ご挨拶できたことが嬉しかったです。

高校では、中学で遭っていたいじめの首謀者と
その近い取り巻きとは離れられましたが、
同じ中学から上がってきた生徒も相当数いたので
中学時のレッテルを払拭すべく「高校デビュー」も
できず、鬱々とした日々を過ごしていました。

かなりの進学校だったため、それまで中学では一応上位にいた
成績が一気に低空飛行になったことも
憂鬱の原因でした。
同レベルの進学校に進んだ姉は成績に問題があったことなど
なく、両親は「落ちこぼれ」な娘が理解できず苛立ち怒るばかりで
どこにも居場所がない、こんな高校来るべきではなかった、と感じていました。

そんなわけで高校生活が楽しくなく、逃避願望が募っていた頃
高校の掲示板で目にしたのが交換留学生の募集要項。

両親も、「できない子ども」を理解できないなりに
鬱々と過ごすばかりの私をとても心配していて、
試験を受けることを後押ししてくれました。

この、交換留学生としてアメリカの(ド)田舎で過ごした一年が
人生の転機となります。

それまでの私は、いじめで無視され、嘘をつかれ笑われ、
人を恐れるようになってから
ごくわずかな友人を除いては
人の輪に入ることを極端に恐れ、
会話の話題の発展の仕方、つまりターンの取り方、
質問されたら回答を肉付けして次につなげる、など
不文律・だけど超重要な、会話のpragmaticな面が
まったくダメな人間でした。

それが、日本語を話す人間が本当に1人もいない町に
飛び込み、そこでうまく生活していくべく頑張らねばならない
状況に。

幸運だったのは、ホストファミリーの老夫婦(高校生の孫アリ)
がとてもいい人たちで、どうしようもなく自信のなかった私の状態を
すぐに見抜き、「どうせやってもできない」
「受け入れてもらえない」「失敗したらイヤだ、怖い」と
萎縮する気持ちを和らげ、常に励ましてくれたことでした。

最初のうちこそ、「どうしてこの人たちは
こんなによくしてくれるんだろう」
「本気で褒めてるわけないよね、なんだかんだいってお客様だしな」と
懐疑的に思っていましたが
親子喧嘩もするようになり、かつ狭い町の中で
親戚だらけ・友人だらけなので「みんながみんなを知っている」ので
「誰それがうんたら」という話はすべて筒抜け。
そんな中で、どうやらホストペアレンツが本気で
私をとても可愛がってくれているのだということが
わかってきたのでした。

そんなふうに手放しで、どこの馬の骨ともわからない自分を信じ、
励まして可愛がってくれる人がいるなんて。
もしかして私は彼らの言うように、いい子なのかもしれない。
できる子なのかもしれない。

自分の、自分に対する意識が変わりはじめました。

ド田舎というのもすごく良かったのだと思います。
人々がよりローカルなつながりや功績を大事にしているので、
都会の進学校のものさしで測ったら
全然大したことのないachievementが、手放しで褒めてもらえる。

まさに「井の中の蛙」状態なわけですが、
おそらくこれを経験することが私には必要だったのだと思います。
やればできる。ちゃんと褒めてもらえる。
小さな功績でも、比べて貶められたりしない。

だんだん新しいことに挑戦するのが怖くなくなり、
クラブ活動、演劇やバレエも通して友達が増えて
英語力だけでなく、
欠如していたコミュニケーション能力が伸び始めました。

こうしてアメリカのホストパパママに「育てなおし」をしてもらい、
一年後、日本に帰る頃には増えた自信と日本の家族への感謝の念と、
飛躍的に伸びた英語力をもって凱旋することができたのでした。

アメリカにいる間、国語(=英語)の授業の単語が難しくて
レポートもうまく書けずいつも半泣き状態だったり、
どうみても一目で異端人なので好奇の目はもちろん
人種差別とセクハラが混ざったような言葉を投げかけられたり
悪いこともたくさんありましたが、この一年を乗り越えて
取り戻した、一個人としての自尊心が今も私の大きな支えです。
あの一年がなければ、そう遠くないうちに家を飛び出して
不良になり、バイク事故なんかでとうに死んでいたかもな、と
半ば本気で思っています。

大学に入ってからの英語学習はその2に続く・・・かな?

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コメントコメント


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一人で壁を作る以外にはどうしようもない状況に追い込まれることはあるよね。そういうときにこそ信じて温かく応援してくれる人たちの大切さに涙がちょちょぎれるよ。

よじ | URL | 2011年03月08日(Tue)14:46 [EDIT]


よーじん、ホントに涙ちょちょぎれだったよー命の恩人だと思っているのさ。ホストパパママとあのド田舎の人々の暖かさは一生忘れない。

蘭華 | URL | 2011年04月01日(Fri)23:53 [EDIT]


そんな過去があったとは予想もつかなかったよ。
大変だったね。

でもそういう苦労をしたからこそ、
今の千尋があるんだよね。

そして、生徒の人生に大きな影響を与えたH先生のような
教員に私もなりたいものです。

私は最近育児が少し楽になって、
少しずつ仕事関連の研究も再開しつつあるんだ。

先日は遠山顕先生の講演に行ってきたよ。
昔「英会話入門」を聞いて憧れていた通りの人柄で、
こんな風になりたいって改めて思ったんだ。

るいこ | URL | 2011年08月09日(Tue)04:01 [EDIT]


るいこ、ありがとう!
今思うと、どうしていじめにあっていたとき、学校の外に目を向けずにあんなに「学校」に縛られていたんだろうと疑問に思うよ。でも、中高のときってすごく学校が生活の絶対的中心で、それ以外の世界ってないようなものなんだよね。

るいこには情熱と向上心があるから、きっとずーっと素敵な先生でいるんだと思うよ。私も再び学生を教えるようになったら、同じようにいたいと思う。体に気をつけてがんばってね。

蘭華 | URL | 2011年08月29日(Mon)07:18 [EDIT]


 
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